金田城跡(対馬市美津島町) 防人が守った「国境」
防人(さきもり)たちが守った飛鳥時代の城壁が、1350年を経た今も形を留めている。対馬市美津島町の国指定特別史跡「金田城跡(かねだじょうあと)」。朝鮮半島を望む高台に築かれた石塁は、国境の島の歴史を静かに物語る。
飛鳥時代の対馬は、倭国(わこく)(日本)と朝鮮半島の緊張の最前線にあった。倭国は朝鮮半島へ遠征し、白村江(はくそんこう)の戦い(663年)で唐・新羅(しらぎ)の連合国に大敗した。その後、大和朝廷が東国から集めた防人を西国に配置。667年、外敵の侵攻を防ごうと、百済(くだら)の石積み技術を使った朝鮮式山城として対馬中部の城山(じょうやま)(標高276メートル)に築いた。
城山は浅茅(あそう)湾の入り江深くに位置しながら、山頂から朝鮮海峡を望める軍事的に重要な地。石塁に使われているのは、浅茅湾沿岸産の白っぽい石英斑岩(せきえいはんがん)で、幅50センチほどの岩が多い。高さ最大約7メートル、総延長約2・2キロにわたって城山中腹を囲うように積み上げられている。
金田城入り口の看板には、相模(現在の神奈川県付近)の防人が詠んだと万葉集に伝わる和歌が紹介されている。
大君の 命恐(みことかしこ)み 磯に触(ふ)り 海原渡る 父母を置きて
防人は3年任期だったが、任地では自給自足の生活で、帰国は必ずしも保障されていなかったという。石塁内には、堀立柱(ほったてばしら)式建物の跡もある。
近代になっても城山の戦略的重要性は変わらなかった。頂上には1901年、旧日本陸軍が日露戦争(1904~05年)を前に砲台を設置。頂上までの登山道は、砲弾などを運ぶ軍道としてこの時に造られた。
金田城跡周辺でシーカヤックツアーを企画している対馬エコツアーは「要塞(ようさい)地帯だったため、海岸部は手付かずの自然が残されている。海からの景観は、防人がいた時代の眺めとほとんど変わらないだろう」と話している。
