吉井川橋梁、吉田橋梁、福井川橋梁(佐世保市吉井町)佐賀・長崎「登録文化財」巡り

更新日
2024.08.26
情報提供
長崎新聞
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伸びやかなアーチを描く吉井川橋梁の上を走る松浦鉄道の車両=佐世保市吉井町

カタンコトン、カタンコトン-。伸びやかな四連アーチを描く橋を、松浦鉄道(MR)の小さな列車が心地よいリズムを刻みながら走っていく。佐世保市吉井町の吉井川橋梁(きょうりょう)。のどかな風景が広がるこの町では、戦時中に建造され2006年に国の有形文化財に登録された3本のコンクリートアーチ橋(吉井川橋梁、吉田橋梁、福井川橋梁)が今も人々の暮らしを支えている。

佐世保市と有田町を結び、通勤通学や買い物など県北の市民の“足”として欠かせないMR。3本の橋は、吉井駅(佐世保市吉井町)と潜竜ケ滝駅(同市江迎町)の2キロの区間にある。

MRの前身、旧国鉄松浦線は、1928年に整備が始まった。難所になったのが潜竜駅(現潜竜ケ滝駅)と肥前吉井駅(現吉井駅)の間の深い谷。このため架橋工事が始まり、1939~44年にかけて3本が完成した。兵器や船舶の製造で鉄鋼が多く使われ、資材が不足した時代。吉井川橋梁は全長約46メートル、福井川橋梁は全長約67メートルと大規模でありながら、鉄筋の代わりに竹筋を用いた可能性があるともいわれている。

戦後、橋の上を走る列車は、復興や朝鮮戦争の特需などで生産量が増えた石炭を運んだ。「露店や飲食店、映画館が立ち並んでいた。買い物をする人が行き交い、物を売る人も集まってきた」。旧北松吉井町の最後の町長、は活気にあふれた炭鉱周辺の雰囲気を懐かしむ。だがエネルギーの転換などで炭鉱は65年ごろから次々と閉山。地域からにぎわいが消えていった。

完成から70年以上が過ぎた三つの橋。長年雨風に打たれたコンクリートは、温かな色合いとなって自然に溶け込んでいた。無数の列車の往来に耐えてきた柱に触れると、静かな力強さを感じた。「列車で来てこの地に降り立ち、歴史を感じてほしい」。地元の名所を案内する活動に携わっている町長は、そう力を込めた。橋梁が地域に人を呼び込む“懸け橋”になることを信じて。


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